娘が小学生になるにあたり、学校についてよく考えたい私です。
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今日は私の学校時代の思い出を書いてみたいと思います。
和知小学校→八百津中学校→加茂高校→大阪外国語大学(現大阪大学)スワヒリ語学科
と道を歩んできました。
勉強はできたのに暗かった小中学校時代
勉強とかテストは好きで、かなりできた方だったと思います。記憶する限り、勉強に関しては苦痛を感じてはいませんでした。
ただ体育が苦手でした。何度チャレンジしてもできなかった逆上がりはよく記憶に残っています。今でこそ酵素風呂でスコップを振り回してはいますが、未だに運動に関して苦手意識はあってスポーツやれとか言われても絶対嫌です。
体育って勉強と違ってほかの子に迷惑をかけるんですよね。サーブ失敗、パスをうまく回せない、リレーで抜かされる…
そのことがコンプレックスとなり、自信を持てずにいて勉強はできたのに暗かった私でした。自信のなさそうな感じがそういう事態を引き起こすのか、男の子にいじめられたこともありました。
そんな感じの小中学生でした。
私が小学校の頃、最初の時期は土曜日も学校をやっていて、土曜が午前授業だったんですよね。だから半日で学校から歩いて帰ってくるんですけど、その時に見えた山や青空の美しさはよく覚えています。
登下校が夕方の時には見ることができない、真っ青な空に光り輝く新緑
私たちが学校で机に向かっている時も、こんなにきれいな青空や山の木々が存在するのかなと、帰りながらふと感じたことがありました。
先生から衝撃的な言葉をもらった高校時代
進学校の高校に入っても引き続き運動はできなかったけれど勉強はよくできた私で、2年生には特進クラスに入ることができました。
その時、国語の先生に言われた言葉は忘れられそうにありません。
「今の加茂高生は勉強はできるけど面白くない。つまらんやつばっかりだ。昔の加茂高生は昆虫が好きだとか、天文が好きだとか、いろんなことに夢中になっては楽しいヤツがたくさんいたものだ。
今の加茂高生は団栗の背比べみたいで頭はいいけれど、つまらん!」
その時雷が落ちたみたいな衝撃を受けたんですね、えっ!って。私ってなんだろうと、確かに私ってなにもない気がするなと。つまらんなと。
そんな団栗の背比べみたいな非個性的(と言っては言葉が直接的すぎますが)な生徒たちを創り上げたのは、それこそ日本の一律に行っている公教育のせいによるところが大きいと、今は考えるのですが当時ショックを受けた私は「自分とは…なんだろうか…」と考えだします。
そして自然が昔からとても好きだった私は、きっとアフリカならもっと自然があるに違いない。アフリカの人たちは日本の人より地に足つけた生活をしているのではないか。一度しかない人生、宇宙には行けなくても、地球の裏側ならいける。アフリカに行ってみたいかも~~!
ということで大阪外国語大学スワヒリ語学科に入学を希望したのでした。
日本人はまだまだマスク民族で(2023年5月現在)、まぁもう日本人は全員一回死んで人生やり直した方がいいなんて思うくらいに心ささくれ、コロナ禍通して日本のこと大嫌いになりましたが、それでも私は日本語は大好きです。
それは当時のそのつまらんと言い放った国語の先生の影響があります。私は国語に関してはあんまりできなかったのに、先生は私の何が気になったのか、私を個人的に職員室に呼び出し、「この本面白いから読んでみて」と鈴木孝夫さんの本を貸してくれました。
その本から、私はカタカナ・漢字・ローマ字・ひらがなと使い分け、敬語に方言と多彩な表現方法がある日本語の素晴らしさを知りました。鈴木孝夫さんの本は面白くて面白くて何冊も読みました。
幼児からの英語教育は賛否両論ありますが、鈴木さんの本の影響が大きく、子どもに極端な早期英語教育はさせないぞと思っている私です。
人との出会いは宝物ですね。この先生との出会いは私の人生に大きく影響しました。
砂場先生という先生でした。
積極的になる大学時代
大学生になってから一番嬉しかったことがあります。自分が学んでみたいことが学べるというのもそうですが、体育がなくなったことですね。
この時から私の性格がぐんと明るくなった気がします。
その時できた、昔体育が苦手だった友だちと「体育やらんでいいの嬉しいよな~」と話が盛り上がりました。その友達も大学時代から人生が光り輝き始めた感じがします。
少し前中学校の同窓会を開いた際、「あなたこんなに明るかったっけ?」と先生から言われました。
「体育をやらなくて良くなった時から、私の性格が変わったと思う」と伝えました。
人生においてやらなくてもいいことをやらされ、それができないことで自己肯定感が下がってしまうっていうこと、いくらでもあるのかもしれません。
ある先生が小学校の離任式で「かけっこができなくたっていい!勉強ができなくたってもいいんだ!」と涙して叫んでいたのを覚えています。その時は何を言っているんだろう、できたほうがいいんじゃないの?とぽかんと聞いていましたが、今なら分かります。
それができるかできないかというだけで、人間の価値なんか測れるものではないということをその先生は涙ながらに伝えたかったのでしょう。様々な教科を一律に教育し、できなかったら△をつけなければならないことに葛藤を覚えていらっしゃったのかもしれません。
△をつけられたら、自分はできないんだと子どもは落ち込んでしまうから・・・私が体育で悪い成績を付けられ、凹んでしまっていたように・・・
それで大学時代に紆余曲折あり、酵素風呂を開業するという夢を選択できたんですが、そこらへんは確かプロフィールに書いたのでここでは割愛します。
とにかく体育の授業がなくなったことで性格が明るくなり、バイトにサークルに勉強に恋愛もしちゃったりして、たくさん活発に活動でき酵素風呂開業という夢に辿り着けたという学生時代では一番楽しい4年間だったということでした。
もう少しこの学校生活を振り返って、考察したいのですが、長くなってしまうので続きは今度書きますね♪
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